遅延放射線生物影響

遅発性長寿命ラジカル観測から見た遅延放射線影響

研究テーマ

  • 培地移動による突然変異誘発放射線バイスタンダー効果と遅発性長寿命ラジカルとの関係
  • 細胞がん化と細胞中の長寿命ラジカルとの関係
  • 遅発性長寿命ラジカル観測からみた紫外線による培地移動に突然変異誘発放射線バイスタンダー効果

放射線生物影響

 普段の生活において身の回りの電離放射線のことを意識することはないかもしれません.しかし,大気圏を離れるとそこは生命の存在を許さない電離放射線・紫外線が飛び交っています.地球に大気が少なかった頃は,地球上の生物は地上に出て来るのは難しく殆どが海の中にいたと考えられます.しかし,大気の増加と共に紫外線・放射線レベルが下がってくると,生物は地上へとその生活圏を拡げてきました.紫外線・放射線レベルが高い時代から生物はこれらと共存する歴史を歩み,その中で紫外線・放射線に対する防御機構を備えてきました.私たちの身の回りの放射線は0ではありません.土壌・空気・建物・宇宙から常に放射線が届いており,世界平均で我々は1年間に2.4 mSvの放射線エネルギーを吸収しています.しかし,このレベルでは我々は病気になることはありません.長い歴史で進化してきた放射線防御機構が働いているからです.
 放射線生物影響学研究は,自然放射線レベルからそれよりさらに高い線量を受けた際に,細胞や個体がどのような生物学的応答を示すのかを研究してきた学問であり,その多くは生物学的指標(生存率・染色体異常・突然変異)を用いて評価してきました.
 熊谷研究グループでは,生物学的指標に加えて細胞中の長寿命ラジカルを測定することにより,それら生物学的指標(特に突然変異とがん化)が現れる途中のプロセスを明らかにしていこうとしています.

放射線エネルギーの吸収から生物影響までの道のり

 では,放射線は細胞に対してどのように作用をするのでしょうか? これは時間スケールを考えると分かりやすくなります.高エネルギーの電磁波がある細胞を通過したと考えましょう.光子は1 cmを30 psで通り抜けます.典型的な哺乳動物細胞の大きは,細胞を球に見立てるとその直径が20 μmですので,光子が1つの細胞と相互作用する時間は60 fs位と見積もることができます.こんなに短い時間に起こったことが,その後長くて数十年に渡る放射線生物影響を及ぼすことになります.
 この時間内に,光子のエネルギーがその細胞を構成する分子内の電子と相互作用(コンプトン効果・光電効果)によってエネルギーを与えます.このエネルギーが照射された分子のイオン化エネルギーよりも高ければ,電子を放出してイオン化します.ただ,飛び出た電子が親分子カチオンとのクーロン引力圏(オンサガー半径)を脱出できない場合は,また親分子に戻ってジェミネート再結合し,親分子は電子励起状態となりますが,凝縮相ではその励起状態のエネルギーもまわりの分子によって熱緩和され,結局は基底状態のもとの分子に戻るものが一番多くなります.しかしながら,一部は励起状態から中性解離して中性ラジカルになりますし,オンサガー半径から離脱した電子は溶媒和電子になったりある分子のLUMOに入ってラジカルアニオンを形成したりします.電子がイオン化した分子はラジカルカチオンになったり,プロトンが外れて中性ラジカルになったりと沢山のラジカル種ができます.
 哺乳動物細胞の70%は水で構成されています.電磁放射線の相互作用する相手は基本的に電子ですので,生体構成分子で考えるならば水の電子が一番電磁放射線のエネルギーを吸収することになります.水の放射線分解を考えてみましょう.
 H2O -radiation→ H2O+ + e–
 H2O+ + H2O → H3O+ + •OH
 H2O+ + e–  → H2O* → H + •OH
水の放射線分解によってOHラジカルが生成します.OHラジカルは非常に酸化力が強く,これと生体物質との反応が起こると,生体に大きなダメージを与えると考えられています.また,細胞内にはある程度(正常繊維芽細胞で2~3 %)の酸素が含まれているので,
 O2 + e– → O2–
という反応もおこります.これによって生成したO2–はスーパーオキシドと呼ばれ,これも反応性が高い活性酸素種の1つです.また,
 OH + OH → H2O2
によって過酸化水素も生成します.ここまで,光子が相互作用してから1μs程度の時間領域です.
 放射線が当たらなくても細胞中のミトコンドリアからはATP合成のための電子伝達系から一部電子が漏れ出し,周りの酸素と反応してスーパーオキシドが生成してくるため,これを解毒するSuper Oxide Dismutase (SOD)という酵素を持っています.しかし,この酵素は,
 2O2– + 2H+ → H2O2 + O2
の不均化反応でスーパーオキシドを消去しますが,生成してくるH2O2も比較的酸化力が強くこれも消去せねばなりません.また還元された金属イオンがあると,H2O2はFenton反応
  Mn+ + H2O2 → M(n-1)+ OH– + •OH
を起こして活性なOHラジカルが生成してきます.従って,H2O2も早めに消去しなくてはなりません.その役目を果たすのがカタラーゼです.また,細胞内のグルタチオンも抗酸化物質としてこれらの働きを助けます.
 細胞は,酸素呼吸によっても活性酸素に晒されることになりますが,放射線にあたっても同じ事が起こってきますので,長い歴史の中でこれらに対応するシステムができあがってきたのだと思われます.